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ためらいがちな真珠あるいは虹の橋のタラ

⑤  「猫鳴り」 をあなたにお薦めするなら・・・

あれから1年が過ぎようとしている。
九月に獣医さんから「あと三か月の命」と告げられた飼い犬のタラが、
宣告通り11月29日に天国に旅立ってから1年。

癌だった。

夏に入ってからドッグフードを食べなくなり、散歩も家の周りだけでお茶を濁し、
体重も日毎に減りはじめ、時々うつろな表情で台所の片隅に座っていることもあり、
別れの時間が近づいていることをいやでも感じた。

わが子と思って共に暮らしてきた彼女に私がしてやれることは、
毎日極上の鶏のささみでご飯を作ること、
真夜中に軽くなった体を抱きかかえて庭で用を足す手助けをすること、
そして14年間癒やされ続けたことに心から感謝することだった。

死の1週間前から彼女は物を一切口にしなくなった。
水だけは体が欲したのか水の入った皿のところまで
ヒョロヒョロと歩いてくることがあったが、思いつめたように水を見つめ、
その思いを振り切るようにきっぱりと踵を返してベッドに戻る。
その後姿には、「もう死ぬと決めたのだから・・・」という覚悟が
見えていたような気がする。

そんなタラを見ているうちに、私が彼女にしてやれることが
もうひとつあることに気づいた。
犬の最後がこんなにも潔いということを何かに残すこと。
それは写真で記録を残してもよかったし、誰かに話してもよかったが、
私はこうして文章で残すことを選んだ。

動物の最後は「覚悟」と「あきらめ」、そして「約束を果たす」ことのように思える。
神様からこの世に送り出してもらう時に、
「未練を持たずに潔く訪れる死を受け入れます」と約束したかのように
律儀にそれを守って逝ってしまうのだ。
格好いいではないか。

ただ生まれて、懸命に生きて、静かに死ぬ。
私が死ぬ時も、彼女のように潔く死を受け入れられるのだろうか。
少しの希望にすがって切ったり貼ったりしないだろうか。
願わくばその時にちゃんと考える力が残っているとしたら、
タラがお手本を示してくれたようにきっぱりと死んでゆきたい・・・。

そんな私の思いを先に本に書いてしまった人がいる。
「沼田まほかる」という変わった名前の作家が「猫鳴り」という本の中で、
猫の最後をとことん書いているのである。

子供のいない中年夫婦の家に迷い込んできた子猫。
何度捨てに行っても小さな体で懸命に戻ってくる。ま
るで神様が子供の代わりに二人のもとに送り込んできたかのように。
その後、二人と1匹の生活が始まり、途中で妻が亡くなり、
そして老猫は二十歳を過ぎた頃体調を崩し食べ物はおろか水さえも口にしなくなる。
その姿は、ゆっくりと「死」を受け入れているかのように見え、
漠然と「自分の死」を恐れていた夫に勇気を与えた。
そして老猫は徐々に夫から遠ざかっていき、ついにある夜明けに息を引き取る。
見事な別れを果たしきった猫を夫は褒めてやりたい気持ちになるのだ。

やられた・・・私が書きたかったのに先に書かれてしまった。
悔しいけれど、タラの死を通して私が確信を持って感動したことが
そのまま書かれている。
どうか私からのメッセージだと思ってこの本を読んでもらいたい。
そして、やがて誰にも訪れるその時にこの本を思い出してくれたら・・・心から嬉しい。
by anuenue_tara | 2011-11-03 23:49 | えっせい
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