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ためらいがちな真珠あるいは虹の橋のタラ

「なにわバタフライ」

なにわバタフライ・・・なにわの蝶々・・・そうモデルはミヤコ蝶々。

ミヤコ蝶々の演技を見たのはTVの・・・タイトルは忘れたのが、
関西の女性の根性ものドラマ・・・
「損して得取れ」という蝶々のセリフがすごく印象的でだった。

そして、南都雄二との「夫婦ぜんざい」という番組で、
オープニングに二人のトークがあるのだが、
その時の蝶々のツッコミが痛快だったのをおぼろげながら憶えている。

この「なにわバタフライ」を見て、初めてあの二人の立場・・というのがわかり、納得できた。
その頃夫だった南都雄二、実はその前は蝶々(正確に言うとその頃の夫である有名な噺家の・・)
のお弟子さんだったのだ~。

ミヤコ蝶々・・・1920年に生まれる。実は東京生まれ、
4歳で両親が離婚し、父親と共に神戸に移り住む。7
歳の時に父親が旅回りの一座を結成、日本一若い座長として日本中を廻る生活が始まる。

その後、一座を解散して吉本興業に入り、当時の大物噺家と結婚(実は略奪婚)
夫と劇団を作り、台本作りからすべてをこなす。

夫の浮気が原因で、ヒロポン中毒に陥り、入院生活を送る。
その時に支えてくれた夫の弟子(南都雄二)と結婚。
その後は二人で漫才コンビを組み、売れっ子となり、ラジオ・テレビで活躍するようになる。

そして、2度目の夫・南都雄二の浮気が原因で再び離婚。
離婚してもコンビは続け、「夫婦ぜんざい」というTV番組は20年続く長寿番組となる。


1973年、別れた夫・南都雄二が亡くなる。
それ以前から舞台女優として活躍、
紫綬褒章などを授賞するナニワの大女優となっていた蝶々。

2000年、80歳で永眠。
7歳から80歳までの73年の長い芸人人生も幕を閉じた。

そんな「恋に生き、芸(仕事)に生きた」ミヤコ蝶々をモチーフに、
三谷幸喜が戸田恵子のために舞台化したのが「なにわバタフライ」なのだ。

たまたま大阪の古書店で見つけたミヤコ蝶々の自伝「女ひとり」を読んで、
これは面白いと、すぐに戸田恵子にその本を渡して、
ついに戸田恵子のための一人芝居が出来上がった・・・らしい。

2004年に初演、今回は6年ぶりの再演・・となるわけだが、
NV(ニューバージョン)とついているだけに、そのままの再演ではないよう。
私も初演のものを見たいと思いつつ見逃してしまっていたので、
今回との違いはわからないが、初演を観た方でもきっと、NVは新鮮に映ると思う。

さて、「なにわバタフライ」、見どころは・・・小道具。
もちろん一番の見どころは戸田恵子の演技力だが・・それは当然のこととして、
今回は小道具が存在感を発揮している。

舞台の真ん中に大きな風呂敷に包まれた小道具がすでにセットされている。
開幕の合図もなく舞台上手の幕端から戸田恵子が顔だけ出して、
ゆるゆると芝居は始まっていく。
そして戸田恵子自身がその大きな風呂敷をひろげ、小道具たちをセッティング。

装置のセット、前説、すべて戸田恵子一人でこなす。
そして後ろを向いてミヤコ蝶々のトレードマークだった大ぶりのサングラスをかけて、
振り向くともう女優戸田恵子ではなく「なにわバタフライミヤコ蝶々」になっていた。
(ミヤコ蝶々が天から降りてきた・・・という感じ)

そして、ミヤコ蝶々の「恋と芸に生きた」人生が語られていくわけだが、
その中で大活躍するのが・・・小道具たち。

種明かしをしてしまうと、これから見に行かれる方の楽しみがなくなるので、
存在感のある小道具は「写真立て」と「ガムテープ」とだけ言っておこう。
さて、その写真立てとガムテープがどんなことに使われるか・・
うまいな~と感心してしまうこと間違いなし。

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by anuenue_tara | 2010-03-22 19:01 | IMPRESSION☆感動
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